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「わかる」が問題解決のプロセス

著 者: こころ塾塾長 久保道弘

例えば、わたしが日本車を含めたいろいろな車を見たとする。
最近の新車すらあまりわかっていない。
だから、ボックスタイプ、ハッチバック、軽・・・などある程度のタイプに分 類しながら見るのだが、ぜんぶ同じ車に見えてしまうことが多い。 特に最近の車はそうだ。
私たちは、見る回数が増えてくると、次第に細部にわたり違いを見つけること ができるし、遠くからパッとみても他の車と間違えることはなくなる。 同時に、ある車を”クラウン”なんだと知れば、「ああ、あの車」といわなく てすむ。複数の会話のなかでは、言葉が説明のキーを握ることになってしまう 。
でも、ただわかるだけでは、言葉が必要条件ではないことも理解できるだろう 。

「あの車だよ、僕がほしいのは・・・」
「えっ?」
「エッて、昨日会社の前で見たでしょ。Aさんが乗り込んだ車だよ」

クラウンという言葉がなくても、2人のなかではわかってしまうのだ。 会話の2人は、あたまの中に同じような車をイメージしているだろう。 会話が通じるかどうかは別にして、「わかる」と言うためには言葉が要るとは 言えないことになる。 言葉は自分たちの受けた脳のイメージを分断し、外に対して表現するためのツ ールである。
分断するからこそ、ことばが必要になるともいえる。 言葉は表現するツールではあるが、分断、細分化し、さらなる言葉を作ってい かなければならない。 モノとして切ればハンドルという新しい言葉ができるし、機能で切ればスピー ド、トルクなどの言葉が生まれる。
わたしは、ここからズレが起きてきているように思う。 言葉は細分化や分断により説明するためのツールになるのだろうが、その言葉 が実体を表していると勘違いしていることに。 だって、最初に言ったように”車”というものをみてもそれが”クラウン”か どうかなんてわからないのだ。クラウンという言葉の前に、脳はその車を全体 的に捉えている。区切って捉えることができない脳が、区切って捉えた言葉に より支配されてしまう。 支配されてしまう、も誤解されるかも知れない。 でも、最初はイメージがあったはず。

イメージも人によりずいぶん違ってくることもあるので、自分たちの外に表現 することでものの均質化を図っていることもそうだろう。 そして、イメージで区別や認識していたものが、言葉を知ることによりつなが ったのである。自分がイメージしているものが”クラウン”だと。 やっと、わかったのだ。

最初に”クラウン”があったわけじゃない。 5感から得た情報のひとつが言葉というかたちで生まれた。 言葉があっても、言葉から得た知識があっても、それだけではわからないこと があることを言いたいのだが・・・ その前に必ず、イメージさせられたなにがしかの体験があった。 わたしはそう思う。

だからどのようなことでもわかるためには、言葉でない働きを無視できない。 わたしはそれが右脳だとは言わない。 そうかも知れないし、そうでないかも知れない。
脳という全体性が、当たり前のこととして働いてくれているからだ。 子どもたちと一緒に学習していても、「わかる」ために同じようなことを思っ てしまうのだ。
右脳とか、左脳という前に、目の前の文章を全体的に感じとる力が必要だと。 抽象的なのだけど、文章をまるで自分にとっての物語のように実感できるかど うか、ということだとも思う。 そこをいかにして伸ばしていくか、あるいは気づかせていくかが、学習にとっ て大事なことだと思っている。


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