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著 者: こころ塾塾長 久保道弘
電卓ではない計算機。
それがそろばんである。
学校では小学2年生は、九九が終わり、かけ算の練習にはいるだろう。できても2桁×1桁の計算だ。
一方、そろばんをやっている小学校2年生は、たとえば87×49のような2桁どうしのかけ算を練習している。
かれらは九九をちゃんと覚えているわけではないが、もうずいぶん早く計算もできるようになっている。
かけ算だけが進級の目安ではないので、はっきりとは言えないが、わり算をちゃんとこなすことができるようなると、こんどは3桁×2桁
のかけ算をする予定だ。
かれらは、なんの問題もなくかけ算をこなす。
しかも速い。
かけ算が見取り算の組み合わさった計算であることがわかるからだ。
だから、かけ算をやればやるほど、見取り算をしっかりこなし、間違いのない計算ができるまで「繰り返す」のだ。
この繰り返しが彼らの集中力を養っている。
しかも、そろばんには珠がある。
計算を視覚でこなすことができる、わざ(技術)を持っているのだ。この技術は、技量、しかも高等技量である。
計算をイメージできる。
このイメージが大切なのだ。
わたしの学習の根底には、この「イメージ」が横たわっている。
そろばんだけではない。
数学、算数もしかり。
英語もしかり。
国語も。
イメージできない知識は使えないのである。
まず最初にイメージができあがり、それを自分なりの「言葉」で解釈する。
それをコミュニケーションにより構成しなおす、あるいはイメージをより強くする作業を行う。
知識は、イメージし、それを具現化する作業プロセスのなかで確たる地位を築くのだ。
イメージできない。
それはわかっていないと等値である。
九九を覚えていないが、かけ算をする。
そろばん側の学習プロセスから言うと、2桁どうしのかけ算がスムーズにできるようになったころには、九九を覚えており、より速くかけ算ができるようになる。
その際に必要なのは、そろばんでかけ算をする手法の理解を指が覚える、ということ。
九九覚えていなくても、指の使い方は学習できるということだ。
九九は知っていた方が良いが、知らないからといってできないということではない。
私のところでは、九九表を作り、それを見ながらかけ算をやっていくのである。
九九表を見ながら、ではあるが、それだけで九九を覚えてしまった子ども達も過去にはいた。
九九を覚えてくると、九九表は自然に見なくなる。
知らない、覚えていない九九だけを表で確認し、それ以外は淡々と計算をやってのける。
子どもはおもしろくなるとドンドンやっていく。
集中力にはすごいものがある。
九九を知らないからといって、見取り算がしっかりできる子が次に進めないのは残念。
そろばんのおもしろさを知るには、本人がしたいことと、できることをしっかり見極めてあげながら、「良質」な情報を提供していかねばならない。
それは、その子その子によりちがう情報だったりするのだ。
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