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イメージが支える学習

著 者: こころ塾塾長 久保道弘


こう言うと、「なんだ、右脳教育か」

と一方的に毛嫌いしてしまうが、右脳教育を推進するわけではない。
地のついた学習には、右脳教育が必要不可欠とは考えないからだ。


わたしは私塾を開いているので、子どもたちの「分かりたい」「解きたい」・・・という要求を直接聞く。

特に勉強に限ってしまうが、学校での授業が理解できないときに「分かりたい」という。 学力低下が取りざたされているが、子どもの「分からない」と言う声の前には”学力低下”という指摘は無力である。

「分からない」という問題を解決することが現実的だ。わたしのような立場ではなおさらである。

けっして、授業のすべてが分からないのではない。分かることもあれば、聞いても分からないこともある。
だからどんなときに分かって、どんなときに分からないかを子どもたちの声を聞きながら(観察しながら)受け入れなければならない。

読めたり聞いたりできるんだけど、その意味することが理解できないときは、「分からない」場合だ。
つまり、日本語が分かるだけでは分かったことにならない。

日本語の意味がわかる、そういう知識があることが前提だからである。
小学生に中学生や高校生に話すようなことばで説明しても無理であるように、ことばを理解するための知識が、その子のなかになければならない。これも前提として必要である。

ことばを理解する。

たとえば、「みかん」という”ことば”を知っているだけじゃ理解したことにはならない。「みかん」という形のものが自分のなかにイメージできたときに「みかん」という物体がどんなものか分かる。ことばだけ知っていても分かったことにはならないのだ。そのものを見たことがある、実物でも写真でもこんなものというイメージがなければ自分の中にストンと入っていかない。
いったん見てしまった「みかん」は、その後「みかん」が消えてしまっても、さっきの「みかん」のイメージが浮かんでくる。こうして自分の体験がイメージとして作り上げられるわけだ。

つまり、イメージできないものは「分からない」のだろう。
知識としてだけ知っているということもある。たとえば、歴史上の事件など。そんなときでも本を読んだり、写真や絵を見ることで自分のなかにイメージを作り上げることができるので、分かったつもりで進むのだ。

このイメージ。

イメージとは、心のなかにつくられる像と言われている。

目の前に実物がなくても思い浮かべることができる心のなかの像だ。息子の顔、自分の家の周りの道路、今日のできごと・・・思い出そうとして浮かんでくることもあるし、ふいにあたまの中をかすめることもある。
自分の気持ちによりイメージが変化することだってある。

考えてみると、こういったイメージは自分が過去に体験していることがベースになって実物などに基づいてつくられていることに気づく。思い浮かべようとしたときに作られるものではないのだ。

そして、たくさんの体験に基づいたイメージができあがる。
ことばはこのイメージを代表している記号にすぎないのではないだろうか。

だから、ことばを知らなくてもイメージできるわけだ。
赤ちゃんの人見知りなどもいつもそばにいる母親と初めて出会った人との違いをイメージとしてとらえているに違いない。ことばはなくても自分のなかに違いを意識しているのだ。

では、現実の子どもたちにとってイメージをどう使っているのだろうか。
ことばを通して意味を理解したり、文章からなにが問題なのかを考えなければならないのだから、イメージだけで意識するだけでは理解に到達しないわけである。

問題を解くような場合でも、ことばや文章からイメージを作り出しながら内容を推理していくのだから、やはりイメージなしには考えることができないのだろう。

だから、ことばだけで意味を考えるのではなく、イメージ的に意味をみる学習法が必要だ。 具体的には文章や問題を図に置換できるか?ということで子どもの理解力を検証することができる。

図形の問題を解く場合に、イメージが使われていることがよく分かる。たとえば、角度を求める問題。
多角形の内角の和、補助線などを使いながら角度を求めていく。が、なかなかゴールにたどり着けないことがある。
子どもたちも自分が知っている定理などを駆使しながら角度を求めていくのであるが解けない。

ヒントを言う。
あくまで遠回しだ。
それでも気づかないときは、ヒントがだんだん具体的になっていく。
「あっ!わかった」と言う瞬間がある。
いちど分かってしまうとあまりに単純なことに気づかないだけだったことが分かるし、もう忘れることはない。
これなど自分のなかではイメージできていたことだが、意識の表層まで浮き上がらなかったのだ。ヒントというちょっとした構造がイメージと意識をつなげてしまった。そして、イメージとことばがつながってしまったのだ。

先にイメージがなければ理解できなかったのである。

文章を読みながら、自分のうちにある膨大なイメージ群から必要なイメージを取り出しながら意味を理解しているわけだ。文章の意味、問題の意味を理解し、そしてなにが問われているかを考える。
答えるべき量がなにか、ということを探っていくのだ。

さきの角度の問題にしても、問われている本質が何か?が分からない限り、問題の意味が分かっても解けない。
答えるべき量が、平行四辺形にかかわる対辺に関することだ、とかいうように、だ。


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