著 者: こころ塾塾長 久保道弘
★問題集
自分の理解の確認をするため、自分の実力を知るために問題集を使う。
この前、中学2年生と問題集をした。
ちょうど学校で円周角の項を学んでいたので、円周角の復習だ。レベル1の基礎問題を難なくこなすと、次はレベル2。基礎問題よりややレベルが上がっている。
円周角や中心角の基本事項を知っているだけでは解けない。
中学の問題には、角度を求める、という問題が多くある。いわゆる図形問題。
問題に書かれている図に直接鉛筆で書きなぐりながら、求めようとする角度に近づけようとするが、なかなかその距離は縮まらない。小さい図のなかに手書きをするので、自分の字もだんだん小さくなっていく。
そうしているうちに、自分が書いている字がわからなくなってしまう。
「あ〜、だめだ〜」と言いながら消しゴムで消して、もう一度解き直す・・・・
こんなパターンが多いね。
自分のノートがあるのに使わない。
大きく図を書けばいいじゃない、と言ってあげると、「そうだね、その方が良いね。」となる。
自分でもわかっているんだけど、書くのがめんどうなのかな?
ついでに「どうせ書くんなら、鉛筆じゃなくてボールペンにしようよ。」と提案する。「うん。」
(やった、これで書き直せないぞ。どうするかな?)
大きく図を書き写しながら、もう一度ああでもない、こうでもない・・・と書き始める。
角度問題って、考えているような、とにかくわかるところを探すゲームのようなところがあると思う。
みんなわからないんだけど、なんとなくやっているという感じ。
そうしてやっているうちに問題の答えが出てくる。
計算にはない感覚があるよね。
それでも解けない問題はある。
「わからない」のだ。
でもね。
ヒントその1・・・なんて、言っていると、「あっ!」と叫ぶ瞬間が必ずある。
その1でわからない?じゃぁ、その2・・・
もちろんヒントの数にもよるけど、「あっ、わかった。」という瞬間。かならずそれがある。
私にとってもなんともいえない瞬間だ。
わかるってことは、知識としてのレベルは持っているということ。知識が自分に定着しているからこそ、説明すれば「わかる」のだ。
じゃぁ、なにが足りなかったの?
そして、いったんわかればものすごく簡単に解けてしまう。
解けてしまうというより、答えが見えてしまって、その答えばかりがちらつくのだ。
こうなったら、答えばかり頭に入り、問題を見るとすぐに解けてしまうのだが、・・・・ちょっと変?
「じゃぁ、別の解き方をしてよ。」
また考え始める。
今までわかった解き方、答えばかり頭のなかでぐるぐる回って、とても別の解き方が出てこない。
コロンブスのたまご
そんな情景が目に浮かんでしまう程、よく似ている。
解き方を説明すれば、「あ〜簡単じゃん。」
別の解き方が出てこない。
別の解き方を説明する。「あ〜、な〜んだ、それならわかるよ」だって。
本当にわかってるの?と言いたいところだけど、ぼく的味方からいうと、記憶のどこかにおさまっている情報を、すぐには取り出せないけど、誰かがちょっとその情報への筋道をしめせば、とたんに情報とつながってしまう、ということだ。
これが記憶とか、覚える、思い出す、といったことと深くつながったていると、あらためて実感する。
だから、解けなかった問題、「ヒントでわかったよ」と言った問題・・・・
いろいろあるけど、結局自分の力だけで解けなかった問題は、ぜんぶ「間違いノート」にため込むようにしている。
「間違いノート」は、わたしがそう呼んでいる、間違った問題だけを集めたオリジナル問題集である。
間違った問題は、同じ問題はもちろん、似た問題も必ず間違えてしまう。
そんな問題こそ、よく出会うんだよね。
自分なりの解き方、この問題のどこがわからなかったか?公式は大丈夫?
自分だけの問題集が、あとあとまで使いこなせる問題集になってしまうのだ。
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